「見える」「みえない」

 

2000年生まれの女子高生がつらつらと綴っております。

 

春です。もう2年が終わってしまいました。高校生活の3分の2が終わり、仕上げの3年生に差しかかろうとしている春休みです

 

高校生活は中学よりも圧倒的に過ぎるのが早いように感じます。ほんと。気抜いてたらすぐ半年とか経っちゃってる。

 

私は春が苦手です。春というより花粉症が。

花粉症の方、お元気ですか?大丈夫ですか?

早い目にお医者さんにかかってお薬もらってくださいね。

 

さて、タイトルの話に入りたいと思います。

 

最近日本の伝統芸能、主に能楽に興味を持ちはじめました。

元々日本的なものはすごく好きなのですが、能楽は初めて興味を持ったので色々調べるのがすごく楽しいです。

 

調べていくうちに、能や狂言では「神」「鬼」「霊」などの「みえない」ものが多く出てくることに気付きました

 

私が大好きな「三番叟」という演目にも神様が出てきます。

 

 

それに比べて現代の芸能、たとえばドラマや映画はそういう「神」や「鬼」など、いわゆる「みえないもの」ってあんまりでできませんよね。普通に考えて「リアリティに欠けている!」と言われればそれまでですし。心霊番組やホラー映画はありますが、大抵「ありえないもの」とアタマのどこかでは思ってみてたり…

 

そう考えると昔の人は現代人よりも「みえないもの」にとても寛容だったのかな、と思います。

夜になると鬼が出る、天災は神が怒っている証

など、昔の人はこれが普通な考え方だったのでしょう。

 

昔の人はよくわからない現象を名前のつく何か、「鬼」や「神」、「霊」の仕業だと考えていたのだと思います

さわることができない「現象」を、姿は見えないが実態がある「もの」に例えていたとも考えられます

つまり、昔では「鬼」や「神」は「わかるもの」「存在する何か」という認識であったといえるでしょう

 

しかし時が経つにつれ科学が発展し「よくわからないもの」の正体がだんだんわかってきました。「よくわからないもの」には名前がつき、「よくわからないもの」の代わりの役割を果たしていた「神」や「鬼」が「みえないもの」「よくわからないもの」になってしまったのです。

 

 

う〜ん、話がややこしくなってきたな

 

考え出すととまりませんね、またこんな話をしたいと思います。伝統芸能奥深い……

 

では今回はここまでで